台湾出張より!その2

台湾は皆さんご存知の通り1895年〜1945年まで日本統治時代がありました。
当時の本に鄭成功の詩を見つけたのでご紹介します。
平戸生まれの鄭成功はいつの時代も、日本と台湾の架け橋として活躍してくれてます。

        昭和14年(日本統治時代)発刊
         『台南市読本』より鄭成功の詩


            鄭成功
        肥前平戸の潮路を西に
        山は翠に水また清く
        白砂は遠く青松躍る
        千里が濱に波音高し


        平戸侯より家をぞ賜ひ
        藩士田川の娘をめとる
        老一官こそ鄭芝龍
        日本に住むこと三十年


        寛永元年七月半
        千里が濱の松風に
        和して聞えるその聲は
        鄭福松の呱々の聲


        父に召されて福松は
        母と弟平戸に残し
        一人旅立つそのときは
        七つの年のことなりき


        父につかへて支那に住み
        東の空を仰ぎつつ
        母健やかにいませよと
        日本の空を慈ひたりき


        父にしたがひ成功は
        隆武帝にぞ渇(けみ)したる
        年は二十二、成功の
        名と、国姓をいただきぬ


        されど成功自らは
        国姓呼ぶを憚(はばか)りて
        鄭成功と名乗りしも
        世の人国姓爺とぞ呼びにけり


        その後、父は明をすて
        清にくだれど成功は
        明、再興をすてやらず
        忠義の戦重ねたり


        不運の時は如何にせん
        正義の戦も利さへなく
        台湾島にしばらくを
        よつて回復計らんと
        船艦百餘に二萬餘の
        兵を乗せてぞ渡り来ぬ


        澎湖の島を先づ陷(おと)し
        台南、安平占領し
        和蘭人を降したる
        時こそ二千三百二十一年
        後西天皇の御代なりき


        鄭成功は台湾を
        東都と呼びて蘭人の
        築きし城を承天府と
        名を改めて港湾の
        備へ固め全島の
        土地をひらきてひたすらに
        其の勢を養ひき


        されど領有の年明けて
        雄圖空しく成功は
        年まだ若く三十九
        男ざかりを最期とし
        この地の露と消え果てて
        開山王廟に祀られぬ


        その後、明治御代となり
        開山神社とあがめられ
        社頭にこぼるるみどりよく
        ああ美はしき成功の
        いさをと共にとこしへに
        神さぶ宮居に梅芳る

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